いわゆる冤罪のようないじめの虚偽報告は確認することができる。当人が妄想的な被害を感じていて、事実が無いのに被害報告をしてしまうというケースも確かにあると言える。
しかし、大多数は、当初こそはいじめ被害を隠していた被害者が、隠しきれないほどの状況になったり、肉体的精神的に耐えきれなくなり、被害を学級担任や保護者に告白するというところから始まっているのだ。
私が最もショックだったのは、あるNPOの理事の方が、「子どもは嘘をつくじゃないか!」と私に同意を求めてきたことだ。確かに子どもは嘘をつく。
しかし、その嘘は、多くの瑕疵があり、筋を立てて大人の観察力を持ってすれば、簡単に見抜くことができるし、少々高等な嘘でも、いくつかの質問を重ねれば、その反応などから比較的容易に判断をすることができる。
「子どもは嘘をつく=信じることができない。」という杜撰なイメージで判断するならば、大人はもっと信用ならない存在になってしまうであろう。
原則、子ども本人からのいじめの告白は、いじめがあったとする前提で対応することが重要だと思うのだ。
その理由は前述の通り、多くのケースでは、いじめの被害者本人もいじめの事実を「チクったと言われる」「親や友達に迷惑をかけたくない。」「自分で解決したい。」「復讐したい。」など気持ちが葛藤しており、隠すからだ。
通常隠すものを、話すのだから、あえて、告白という表現で表している。
被害を訴える側に一定の瑕疵もしくは精神上や発育上の何らかの問題があるのであれば、それはよく審議するというのが妥当かと思う。