荒れる小学生〜2014年度統計から

学生の暴力事件において、小学生の暴力事件が増加傾向にあることをご存知だろうか?
もともと、中学生は多いのだが、中高ともに減少している。
これは、文部科学省問題行動調査による統計で明らかになっている。

兎角、「小1の壁」「モンスターエイジ」「中1の壁」などというが、どの段階でも、なんとでも呼び名はつけられよう。
ただ、今の小学生の暴力事件数統計は、爆発的に増えていると言える。
特に1年生はすごい。

小学1年生は、この問題行動調査の調査範囲が今と同じになった頃と比較すると、およそ5倍の発生数となっている。
(2006年123件、2014年621件)そして、2〜5年生においても4〜3倍、6年生はおよそ2倍の発生数を記録している。
およそ、中学生になると、毎年3倍以上の暴力事件が発生すると考えられるが、仮に小学1年生が中学生になる時、その数はどうなってしまうのか
特に教育関係者は戦々恐々としているであろう。

この問題行動、暴力事件をカワイイものだと思ってはいけない。
まず、統計分類は4つに分けられている。

  • 生徒間暴力(よくある生徒同士の喧嘩など)
  • 対教師暴力(教師に暴力を振るうという事件)
  • 対人暴力(下校時に騒いでいて注意されたので、気にくわないから殴ったなど)
  • 器物損壊(ガラスを割った、掲示物を壊したなど)

私は40歳になる年代だが、中学生ぐらいが教師ともめて殴り合いに発展したということはあったが、結構な率で、拳骨を喰らっていた記憶がある。
鉄拳制裁、体罰は容認しないが、ビンタをされたことや頭を叩かれたことは記憶にある。
今の教員の環境と、今の大人世代、特に子育て世代の教師の環境は違う。

例えば、先日、荒れる小学校視察の折、このような話を聞いた。
小学校に併設される幼稚園で、非常に暴れる小学生低学年の男児児童が、幼稚園児を追い回し、蹴ったり殴ったりして泣かせるという事件が多発していた。
それを、ある男性教員が止めに入った。至極当然である。この教員は、暴れる低学年男児を抱きしめるように止め、そのまま持ち上げて職員室まで連れて
いったそうだ。当時のはなしを幼稚園の保護者や先生、学校の児童らからも聞いたが、強く締めたということもなく、優しく諭すように連れて行ったそうだ。

ところが、この男性教員は、体罰をした恐れがあるとして、正式な辞令には基づかないものの、翌年、即座に人事移動により飛ばされてしまった。
この暴れる男児児童の保護者が弁護士を連れて怒鳴り込んできたからの処分であった。

横浜市のある小学校では、教員は児童に触れないようにしている。理由は、触ったことでセクハラだとか、体罰だと言われることを避けるためだそうだ。
誰が言うのか?といえば、それはいわゆる毒親とも言える一部の保護者だ。

小学1年生の蹴られ続け、教師が通院したという辞令もある。ストレスが限界に達してしまったのだろう。

小学生が、教師に暴力を振るう、見知らぬ人に暴力を振るう。
そして、それを容認してしまっているのは、何を隠そう大人社会なのである。

その先頭に立つのは、自らの子がなんでも正しいとする常識のない毒親である。

ある社会学者は、こう言った。
「家庭教育は死んだ。そして、学校教育は瀕死だ。」

一部の毒親が、教育を破壊した。同時に、自らの子の教育も放棄したのだ。
なぜなら、悪いことをしても怒られないということを彼らの子は学んでしまっていて、その実績を積み上げている。

ある意味、このような毒親の元、育つ子どもは被害者なのだろう。
社会規範もなければ、公共の福祉という概念も持たない。まさにモンスターである。

社会的な動きの中で、学校の警察官を常駐させるという案もあるくらいだし、少年法を厳罰化したらどうかという主張も
ここのところ目立ってきている。

よく考えて欲しいのは、少年法により守られて刑事犯として裁かれないとしても、行為自体は
暴力であれば暴行罪傷害罪
物壊しであれば器物損壊、
人のものを取って仕舞えば、窃盗罪、無理やり奪うなら強盗罪
である。
行為は大抵、罪名がつく。

これが、注意も制止もされず、そして、仮に制止してくれた大人がいても、教員なら触っただけで体罰、あかの他人なら、不審者だと
されて、自らの行為が正当化されて、育ったのであれば、行為が悪いことであると認識することはできるのであろうか。

まず、行為が悪いことであると認識できない、字面ではそういう方があるということが理解できていても実感がないまま
育ってしまうであろう。だから、そういう子は、暴露なければ平気だと、平気で行為を行ってしまうのだ。

年齢が一定を超えたり、罪に問える条件が整えば、容易に犯罪者になってしまうであろう。
私はそういう子たちを、いじめであれば証拠収集として、その真意・行為を記録する仕事を被害者救済の立場から行っている。

毒親が子のために、いくら戦おうとしても、行為を記録されてしまっていれば、それに抗うことはできないし、
謝罪をしようとしても、それまでの実績から、謝罪が通用するはずもない。

結果、毒親は巡り合わせで、自らの子の人生をも破壊してしまいかねないのだ。

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