ママカースト制度

大人社会も環境が変化し、多様化してきた。多様化すると、社会は複雑にもなる。それに伴い、新たな性質の事件や凄惨な事件も発生する。
例えば、大人社会でいうセクハラやパワハラは、子ども社会で起きるいじめによく似ている部分が多い。
結果的に、大人社会の進化もしくは劣化を、子ども社会が模倣しているからこそ、バレづらいいじめや内容があまりに酷いいじめが起きていると思うのだ。
その中でも強烈なのは、「ママ友いじめ」である。

その前にママ友いじめに関連する「ママ・カースト」を見ておこう。
ママ・カーストとは、その名の通り、ママ社会で出来上がる序列・階層のことである。
この階層によって差別が行われているということであり、この階層を決める主要因は、いわゆる「お金」である。多くの書籍報道などをまとめてみると、カースト上位は「セレブ」であり、その要因は、「夫の年収」「夫のステータスや職種」である。
その一方、最下層は、「貧乏」であるということであり、カーストから除外となるのは「ヤンママ」「ギャルママ」などである。

結果、このカースト制は、差別である。
その理由は、この階層を決める要素が、本人の要素ではなく、「夫」によるものであるからである。つまり、ママカーストを採用しているもしくは、なんとなく存在するママ友社会は、「差別」が正当化され、それが当然の如くある文化であると言わざるを得ない。
当然ながら、差別が公然とある社会では、弱者がいじめのターゲットとなる。
そして、その社会のルールは、カースト上位者が自らの保身や不平等な考えに基づいて決めてしまうから、一般社会で信頼される法や証拠はその社会の中では通用しない。

その代表事例が、栃木ママ友連続自殺事件であろう。
本項では、この有名な事件は詳しくは触れないが、自殺まではいかないが、村八分のような人権侵害を受けたり、孤立させるようにランチメンバーから除外を仕掛けたりする。
様々な嫌がらせは当然のように起こり、当人に優れた技能があったり、人間性が素晴らしかったり、学校におけるボランティア活動に積極的であっても、それは評価に値しないという差別社会が成り立っている。

”子どもたちのために””学校のために””地域社会のために”という大義名分により、差別されているカースト最下層または下層のママたちは、何もしないカースト上位のママたちの名誉のために、その労力や時間を割いているのである。
そもそも、例年通りの計画が決まっていて、それをそれぞれの年の特色や工夫もなくイベントを実施するだけのルーティンワークであれば、一定の評価基準とマニュアルがあれば、誰がやっても同じ結果になるであろう。
ゆえに、ママカースト上位層という存在は、カースト順位を評価するためだけの存在であって、何ら学校のための貢献も地域の貢献においても効果のない有害な存在としか言いようがないのである。

発展する社会は、常に新しい才能や有能な技術者、オピニンオンリーダーなどが台頭し、時代に遅れた旧社会を更新させてきた。このような歴史は、社会の大小問わず繰り返される。
しかし、差別制度をごく当たり前のように継承し、それを文化としてきたママカースト社会においては、小社会における発展の起因となる人物や有能な人物は、排除すべき人物以外、何者でもないのである。

差別社会を平気で作り出す大人社会が真横に漫然と存在するのであれば、その影響を強く受けるその地域の子ども社会にも差別は当然に存在することになる。
よって、ママ友カーストを受け入れているママ社会においては、確実に子どもらの差別やいじめが色濃く、図々しくも居座ることになるのである。

ここでのいじめの起因は、ママカーストであって、その模倣がいじめである。
これを受け入れている大人社会が癌であって、卑しく卑怯な社会であると評価せざるを得ないであろう。

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